宗派

日本には様々な宗派があり、浄土真宗本願寺派は浄土真宗の開祖・親鸞聖人の遺骨が納められた「大谷廟堂」を起源とする本願寺が東本願寺と西本願寺に分かれて以降、西本願寺を本山としてきた宗派です。
今回の記事では、日本で最も信者が多いと言われる浄土真宗の宗派の一つである本願寺派についてご紹介致します。

浄土真宗本願寺派とは

教え

浄土真宗本願寺派は、浄土真宗の開祖・親鸞聖人の遺骨が納められた「大谷廟堂」を起源とする本願寺が東本願寺と西本願寺に分かれて以降、西本願寺を本山としてきた宗派です。1263年、90歳で往生した親鸞の遺骨は簡素な石塔に埋葬されましたが、生前の遺徳を慕う門徒らによって約10年後の1272年に六角の廟堂が建設され、遺骨が移されました。大谷廟堂という名前は京都東山大谷の地名に由来しています。大谷廟堂が「本願寺」として寺院化したのは、親鸞聖人の曾孫である覚如が大谷廟堂の守護管理をする「留守職」に就いた1321年です。覚如は「三代伝持の血脈」をあらわすことで親鸞の師である法然聖人の教えが自身へと正しく相伝されたことを明確にしました。これは、当時関東にあった親鸞聖人の直弟子による一派に対して本願寺の正当性を表明したもので、門徒を一つにまとめて教団の統一を図ることが目的だったといわれています。室町時代中期になると、中興の祖と称される第8代・蓮如の積極的な伝道活動によって、真宗の教えは広く世に知られるようになりました。

しかし、1465年に比叡山の衆徒による襲撃に遭い本願寺を破却された蓮如は現在の福井県や大阪府を転々としながら教化活動を続けることとなります。1478年には京都の山科に再び本願寺が造営されましたが、戦乱の世にあって城郭のようだったといわれる山科本願寺は1532年の「山科本願寺の戦い」で陥落。そして大坂石山御坊に拠点を移してから約40年後、天下統一を目指す織田信長との間で10年にもおよぶ「石山戦争」を展開しました。この時、仏法の存続を図っていち早く信長と和議を締結した第11代・顕如が石山本願寺から離れ、のちに豊臣秀吉から土地の寄進を受けて京都に拠点を設けたのが六条堀川にある現在の本願寺なのです。1592年、顕如が50歳で往生すると、石山本願寺に残って戦い続けた元強硬派の長男・教如と、顕如と共に石山本願寺を離れた元穏健派の三男・准如との間で継承をめぐる分裂が起きました。本願寺の勢力分断を目論んだとされる徳川家康は教如と結びつき、本願寺の直ぐ近くの烏丸七条に御堂を建設したのです。これが原因となり、西本願寺の浄土真宗本願寺派と東本願寺の真宗大谷派が生まれました。真宗大谷派については下記にて詳しくお伝えしていますので併せてご覧ください。

本願寺派の教えや特徴

特徴

浄土真宗の要となるのは「阿弥陀仏の本願を信じ、念仏を称えて仏となる」という教えです。「本願」とは、阿弥陀仏が菩薩として修行中に立てた48の誓願の内の18番目の願いのことで「わたしが仏になったなら、すべて命あるものを必ず迷い苦しみから救い出す」という意味が込められています。神社やお寺では当たり前のように売られている御朱印やお札・お守りがないのも浄土真宗の特徴です。これはお守りのご利益に頼ったり、目先の良し悪しに囚われたりするのではなくどんな時でも人間を見捨てることのない阿弥陀仏の働きのみに頼み生きよとの教えをあらわしたものです。人間の心をすべて見通すことのできる阿弥陀仏は、人が望む前から願いを叶えてくれるともいわれています。その他の特徴についても下記にまとめましたのでご覧ください。

読まれる経典
浄土真宗の根本経典といわれる3つの経典「浄土三部経」である
「無量寿経」「観無量寿経」「阿弥陀経」
親鸞聖人の著した「教行信証」「正信念仏偈」など
お唱えする念仏
「南無阿弥陀仏」
日常勤行や儀式の際に読まれることが多い経典として「正信念仏偈」
「阿弥陀経」に含まれる「讃仏偈」「重誓偈」
数珠のかけ方
本願寺派では房の部分を下にして持ち親指で上を軽くおさえます。
焼香のあげ方
朝と夕方の1日2回、仏前に向かい蝋燭を灯し香を焚きお供えをします。
線香は香炉灰に立てず、半分程に折って寝かせて置きます。
焼香は1回つまんで、額にはおしいただかずにお供えします。
香を香炉にくべる前に合掌はせず、りんを鳴らしたりもしません。
本願寺派の行事
御正忌報恩講
聖徳太子会
灌仏会
立教改宗記念法要
宗祖降誕会
龍谷会
仏壇の飾り方
絵像の阿弥陀如来を中央に飾ることが多い
木像を飾ることもある
脇掛けは向かって右に「帰命尽十方無碍光如来」の十字名号
右に「帰命尽十方無碍光如来」の十字名号を
左に「南無不可思議光如来」の九字名号を飾ります。
また、右に親鸞聖人、左に蓮如上人の絵像を掛けることもあります。

ご本尊についてはこちらで分かりやすくご紹介しておりますので併せて参考にしてください。

葬儀の特徴

葬儀

浄土真宗の宗派である浄土真宗本願寺派の葬儀の特徴には次のようなものがあります。

引導・授戒の儀式がない
浄土真宗本願寺派の教えでは、阿弥陀如来の救いを信じれば極楽浄土へ行けるとされています。そのため故人の供養を行う必要はなく、葬儀は阿弥陀如来に感謝の意を表すための勤行となっています。故人をあの世へ送るための儀式は亡くなるとすぐに仏様になれる浄土真宗本願寺派では行われません。
死装束・清めの塩を用意しない
浄土真宗の葬儀では、他の宗派のような死装束は用意しません。死装束とは亡くなった方が浄土へと無事に旅立てるように用意するものです。浄土真宗では故人はすでに極楽浄土に成仏しているので旅立ちの衣装である死装束を用意せず白衣を着せたり、故人が愛用していた着物や洋服を着せたりします。さらに、すべての人々は死後に仏様となって再会できるため、お別れを告げる儀式である「告別式」という言葉も使用されません。また、死は「穢れ」であるとは考えないので、清めの塩も必要ありません。ただし実際には、葬儀にはさまざまな宗旨、宗派の方も参列されるので会葬御礼には小袋に入った清めの塩を添える場合が多いです。
臨終勤
逝去後、故人を安置したら臨終勤行を行います。他の宗派では枕経と呼ばれるものと似ていますが考え方は異なります。枕経は故人への供養であるのに対し、臨終勤行は本人が本尊に対し行う人生で最後のお勤めです。本来はまだ生きている間、臨終に臨んで行うものですが実際には亡くなった後に行うのが一般的です。本人に代わって僧侶がお勤めをするもので、読経も本尊に対して行います。また、法名を生前に受けていない場合には臨終勤行の際に法名を授けてもらいます。臨終勤行を行わなかった、またはこの時法名を授からなかった場合は出棺までに授かるようにします。